2017年03月13日

「伝源頼朝像」が教科書に載り続けている理由 〜太子温泉の広告看板を見て考える

 朝の出勤時、古市駅で、太子温泉の広告看板を発見。太子は聖徳太子のことだろう。
 聖徳太子は歴史上の人物としては、知名度抜群。我々の世代としては、紙幣の肖像のイメージも強い。ただ聖徳太子という呼称は、没後100年以上経って書かれている史料が初出であるとのことで、中学の教科書で、厩戸皇子の名を正式なものとして、聖徳太子を別名として( )内に記載するとの報道がなされ、議論になった。
 歴史上の定説が後の検証で覆えることは珍しいことではない。日本最古の硬貨の代名詞として扱われていた和同開珎が後世の富本銭の発掘によって、その地位を奪われたように。呼称の変更に対して反発が生じているのは、聖徳太子があまりにも庶民に親しまれていたためであろう。他の時代では、一休さんも同様か。後世にこれほど親しまれている歴史上の人物はそういない。一休さんはアニメによる影響も大きい。
 神護寺(京都市)所蔵の源頼朝の肖像画は後世の研究によって、頼朝ではないと指摘された。つまり別人というわけであるが、それでも教科書から削除されないのは、「我々がずっと源頼朝と思ってきたのは、まちがいだったのか。ただ否定するのではなく、本当の像を示してくれ」という市民的感情があふれてくるためであるように思われる。それが無理であるのは明らかであるから、「伝源頼朝像」として掲載を続けている。そうでもしなければ、長い間親しまれ、切手にもなっている源頼朝像が消去されることによる心の空白を埋めきれないのである(オーバーかな?) 上野公園の西郷隆盛像も同様で、本人をモデルにしたものではないことは知られている。しかし銅像の顔が市民に浸透し、親しまれている。今まで長期間、蓄積された感情を歴史的事実ではないとして、ドラスティックに変更することは、時として市民に反発されることもある。学問上の発見、検証を重視しなければならないことはもちろんだが、これらの整合性は難しい問題。文部科学省が本件に関連するパブリックコメントを募集していた(すでに期間は終了)が、結構コメントが集まったのではないか。
 太子温泉から発想が広がりすぎてしまったか。温泉はいい。次の御所滞在では、市内のかもきみの湯に行こうかな。
 今日は、今月最後の御所市滞在日。東京の自宅に着くのは23時頃になる。19時頃夕食。たこ焼き、どて煮とビール。
posted by 林 秀一 at 20:04| 日記 | 更新情報をチェックする