2017年05月23日

御所市から天理、難波へ

 昨日深夜、東京から大阪入りし、天王寺宿泊。
 平日の移動では、東京での勤務終了後、すぐに新幹線で移動を図るが、ホテルへ入るのはどうしても深夜になってしまう。新幹線の到着時刻にもよるが、橿原まで移動できない場合もあるので、前夜の宿泊は大阪か京都にしている。ホテル入りは23時過ぎだったので、ビールを飲んですぐ寝たのだった。
 今日は早目の電車(急行)で、天王寺から尺土乗り換えで近鉄御所。
 いつもより30分くらい早く役所へ。今年度下期の御所市勤務スケジュールに関し、協議。
 今日の御所市は夏っぽい気候ではあるが、執務室の窓を開けていれば、充分涼しい。初夏は気持ちいい。
 
 天理市の図書出版 養徳社へ。出久根達郎『桜奉行 幕末奈良を再生した男 川路聖謨』を出版されている。川路聖謨は、日露和親条約の締結で世に知られているが、奈良藩ゆかりの人物であることは初耳。北方領土の歴史をなぞるときに、日露和親条約には必ず触れられるので、川路聖謨の名は北海道では少し知られているように思う。
 奈良が小説の舞台になっていると聞けば、ほとんどの方は古代をイメージされるのではないか。NHK大河ドラマで奈良藩が出てきた場面を思い起こすことは難しい。幕末に活躍した偉人は、奈良にもいる。これをよく掘り起こされたと思う。幕末は、ご年配の方ばかりでなく、近年は歴女にも人気が高い時代であるが、薩摩、長州、土佐の人物、あるいは15代将軍徳川慶喜、勝海舟、新選組などが取り上げられる機会が圧倒的に多く、舞台になる地も限られている。しかし、それ以外の地も維新の激動を乗り越えてきているのであり、素材も少なからず、あるはず。大河ドラマは、戦国時代と幕末が舞台になることが多く、登場人物にも偏りがある。歴史を眺める新しい視点として、川路聖謨はおもしろい。
 ロシア・ソ連の外交巧者ぶりは世界有数で、いつも日本側が押しまくられている印象が強いのだが、樺太千島交換条約をまとめた榎本武揚や、ポーツマス条約を締結した小村寿太郎と並んで、川路の外交手腕に注目するのも有用ではないか。今までは、利権を有していた樺太に国境線を設定できず、日本にとっての好機を逃した幕府のお役人というイメージを抱いていた。歴史は、勝者の側(明治政府)から語られたものが後世に残っていくことが多く、幕府が結んだ不利な条約を新政権が少しずつ押し返していったというストーリーで語られる機会が多かった。
 企画された編集者Yさんと30分ほどお話しする。この出版社には南樺太をテーマとした本『新・樺太伝道物語』もあり、守備範囲が広いと感じた。うちの祖父母・母もそうだが、北海道には樺太からの引き揚げ者が多く、道内の郷土関連図書のコーナーには、樺太関係の書籍がいくつか並んでいる。
 そのあと、博物館に行こうと思ったが休館日だったので、Yさんにご案内をいただきながら、近くの大学のキャンパスを歩く。東京や大阪の大学のキャンパスは、あまり広くないところが多いのだが、ここはとても広くて緑が目立つ。北海道の大学を思い出す。キャンパスがこれだけ広いと気持ちいい。アイディアに悩んでいるときの散歩にもぴったり。このような環境はうらやましい。
 この後、N社のKさん、Aさんと難波で飲み会。おでんが主体の店。決して広い店ではなく、ぎっしり満員。出汁がきれいに澄んでいるのと、牛すじなどをそろえているのが関西らしさを感じさせる。Kさんは、このような渋い店をよく知っており、大阪で飲む際は頼もしい存在。この日は体調もよく、泥酔せず。この後は、軽く1時間ほど、カラオケに行ったが、ここは通称「カラオケ虎の穴」。採点が非常に厳しいところで、全国1位を目指すなどということはとんでもない夢で、平均点を上回ることを目指して歌い続けるというシビアなカラオケ戦となったのであった。
 23時半ごろホテルへ。
posted by 林 秀一 at 23:39| 日記 | 更新情報をチェックする